寄文「武夷山岩茶大紅袍」


中国の福建省にユネスコの世界遺産(複合遺産)である武夷山があります。武夷山風景区です。36峰、72洞、99岩があると言われ風光明媚なところです。ここにお茶の王様というべき「大紅袍」があります。日本人にはあまりなじみはなくても、お茶好きや中国人には一生で一度は飲んで味わってみたいお茶です。
馥郁たるどっしりとした貴重なお茶は、中国皇帝にも献上されたことがあるお茶です。筆者は、この中国皇帝“が”献上させたお茶の話を知ってから大紅袍に興味を抱きました。
大紅袍とは、大=偉大なる、紅=真っ赤な、袍=マントという意味です。

大紅袍の由来
母樹の樹齢と美味しさの秘密
母樹の生産量とプレミアムな価格
母樹の品種と正岩核心産区
茶叶科学研究所
毛沢東国家主席とニクソン大統領
武夷山の男
参考文献

名前の由来である有名な5つの説(伝説もしくは伝承)を紹介します。
1、宋王朝時代に、皇后の腹が膨らみ苦しくて食事も喉を通らないようになりました。皇帝は宮廷医を呼び治療に当たられますが治りません。そこで皇帝は皇太子に皇后の為に胃腸薬を探してくるように命じます。名医と良薬を探して中国各地を探索しますが、皇后には効きません。奇峰怪岩が連なり林は深く道は険しい、秘境ともいえる武夷山にたどり着きました。そこには、一匹の虎が老人に噛みついてます。皇太子は虎を倒して老人を救います。老人は皇太子を家に招き入れお礼をします。そこで老人は皇后が重い腹部の病気であることを知ります。皇太子を奇岩の前まで連れて行き、村人達は腹が膨らみ苦しいときは奇岩に生えている茶樹の葉を煎じて飲めば治ると教えました。その話を聞いた皇太子はとても喜んで、さっそく岩壁に登り茶葉を摘みました。皇太子は急いで都に戻りました。茶葉を煎じて皇后に飲ましたところ、1日目(一杯目)にお腹に変化を現れ、2日目(二杯目)でお腹がすっきりしお通じがありました。3日目(三杯目)は、心が清らかで爽やかになり病気が治りました。そこで、皇帝はその茶樹に大臣だけが着用を許されてる赤いマントを意味する「大紅袍」の名を下賜され、老人を茶樹を護衛するための「護茶将軍」も任命して、毎年、お茶を皇帝に献上するように命じました。

2、進士(※1)の青年が殿試(※2)を受けに都へ上がるとき、武夷山の近くを通ると腹痛に襲われます。近くの天心寺に助けを求めました。天心寺の住職は青年の症状を診て、小瓶から乾いた茶葉を取り出し、山水でお茶を淹れました。一煎目、青年は香りを感じると心が穏やかになりました。二煎目を味わうとお腹の痛みがなくなった。しばらくするとお通じがやってきて、お腹の具合も良くなり、体中のダルさが取れ元気になりました。その後、行宮(※3)のある臨安(※4)に行き、殿試で「状元(※5)」に合格します。眉目秀麗で文武兼備の青年は皇帝の寵臣になり、公主(※6)を嫁にもらいます。故郷に錦を飾り帰国するとき、天心寺で助けてもらった事を思い出し参拝します。そこであの時の住職と再会します。お礼をして、あの時のお茶の話をします。住職はあの時のお茶は、岩壁にある茶樹から作ったを青年に教えた。青年はすべてはこの茶樹のお陰と「状元」の証である赤いマントを茶樹に掛けた。それを見て天心寺の住職は、その茶樹を「大紅袍」と名付けた。
進士※1科挙に受かって順位を決める殿試前の身分
殿試※2科挙の最終試験、皇帝臨席の下で合否ではなく順位を決める
行宮※3政変などの理由で御所を失陥している場合などの皇帝の一時的な宮殿であるところ
臨安※4南宋時代の臨時の首都で現在の杭州市
状元※5科挙試験の首席合格者の称号
公主※6皇帝の娘

3、昔々、中国の皇帝が武夷山の近くを通りました。その時に皇帝は体調を崩します。近くにあったお寺の僧侶が皇帝にお茶を飲ませたところ、皇帝は回復しました。僧侶にそのお礼として僧侶の最高位の証である赤いマントを贈りました。ここから大紅袍と名付けれれた。
4、3の続きで、その僧侶が晩年に病に倒れ、同じお茶で回復したことから、僧侶が茶樹に下賜された赤いマントを被せたことに由来する。
5、天心岩にある天心寺の和尚が、茶葉の色がほんのりと赤いことから大紅袍と名付けた。

どれも有名な説ですが、よく似た共通事項があるようです。1つは茶樹に赤いマントを被せる。もう1つは、赤いマントは高貴な証。状元だったり大臣だったり僧侶の最高位だったりと少しドラマチックです。上記の5つ話を統合したような伝記が『紅茶スパイ』でも紹介されてます。作中では「岩壁を生える茶樹を摘むのは人間には難しく猿にお茶を摘ます」お話ができます。
伝説と重なりますが、大紅袍は「茶中状元」とも言われます。ほかにも「武夷茶王」「茶中之聖」など言われ、このような別称が名前の由来である伝説に逆流するように影響を与えた可能性もあります。

母樹の樹齢と美味しさの秘密

この大紅袍の母樹があるところは、武夷山風景区の中でも大紅袍景区にあります。
伝説では、もしくは公式なところでは6本の茶樹があるとされてます。多くの中国茶関係者は最大4本の現存が確認できると発表している。そして、我々一般人が訪れることができるエリアから肉眼で確認できるのは3本です。これらが、中国でも日本でも大紅袍の母樹が何本であるか、情報によって違う所以です。『中国茶文化』によれば、以前は、天心岩の上に3本、下に2本現存していた。その後、1960年に上の3本を母樹として柵を設けて保護している。母樹の品種が3種類と分かっていることと合致して、これが一番正確だと考えられる。大紅袍の母樹は世界遺産の武夷山にあるだけでなく、その母樹自体が生きる国宝であり世界遺産であり伝説です。なので、中国の茶業や学術関係者や政治力があるだけでは確認できないのです。その点からも1960年のデータは信用に値する貴重な記載です。

さて、武夷山地域で栽培及び製茶される烏龍茶を大紅袍も含めて基本的に「岩茶」といいます。1600年代頃には岩茶が成立した考える有識者が多いようですが、お茶の伝播から岩茶の概念や定義とは別にこの地域では、それ以前からお茶があったのは間違いないです。
母樹の樹齢も色々な中国茶関係者が伝える樹齢は合致しません。
いわれている樹齢の長い方から、1000年、850年、400年、350年、300年などです。
文献などある資料写真もしくは細密画挿絵から推測すれば、樹齢800年超えは難しいかと思います。逆に、300年などは伝説や伝承から考えたら短すぎるようにも思います。日本で生産される日本茶の茶樹は50年ぐらいが限界ですので、比較するととても長寿な母樹になります。また、日本にも滋賀県の永源寺近く東近江市政所町に県指定自然記念物の樹齢300年を超える大茶樹があります。茶樹の樹齢が300年を超えても不思議はありません。
大紅袍の母樹は、初めは偶然に天心岩に茶の種子が根付いて茶樹が育ち、その後は代々母樹がある天心岩の場所を護ってきた守り人が、母樹が朽ちては良い茶樹を選んでは植えを繰り返して、現代まで伝えられてるいると推測してます。そして、岩茶が1600年代にできたとすると最後に母樹となる茶樹が植えられたら現代までに樹齢が400年を超えている母樹と計算が合います。名前の由来となった宋代の伝説が史実なら、樹齢850年も計算が合う事になります。大紅袍の味と効能には、その岩と守り人と樹齢に秘密があるのではないかと考えています。
伝承の護茶将軍だけなく、現代でも母樹を守るのは人民解放軍がしているという話を耳にします。そのような例外的な珍しさがまた、魅力の1つなっている気がします。ほぼ全ての果樹などに言えることですが、樹齢が50年100年と経つと味が変化します。しかも、それはより人間にとって好ましいモノに変化する事が多いです。柚子に関して言えば、100年の樹齢を超える古木から採れた柚子は、それ以外のモノと別の柑橘系かと思わせるぐらい変化します。また、栗も50年を過ぎた大木から採れる栗は、無名の栗であっても「丹波栗」に負けない美味しさがあります。日本の茶樹で樹齢300年を超えた木の抹茶を飲んだ事がありますが、その品質は素晴らしくかったです。それを考えると長寿な母樹からも高品質な岩茶が生産できるのも納得です。岩茶も同じで、昔の人は経験的にそれを知っていたのでしょう。中国茶でも50年を過ぎた茶樹を老叢(※)。100年を過ぎた茶樹を古樹と言います。岩茶の中でも老叢水仙、老叢肉桂などは、樹齢50年を過ぎた水仙や肉桂の品種と言うわけです。
大紅袍の味が特別なのもこの樹齢が関係してるかもしれません。武夷岩茶はお茶の中でもボディが重いお茶です。飲みすぎると伝説の効能とは別にお酒に酔ったようになります。これをお茶酔いと言います。しかし、このお茶酔いの原因になりますが、岩茶特有の馥郁たるその深い味わいを「岩韻」と表現します。ヨーロッパの諺に「プティングは食べてみるまでわからない」と言うように、岩韻も表現が難しいです。強いて日本人に想像しやすいように表現するなら、京番茶や焙じ茶を特別高貴な人に献上するために、品種の選定から畑の環境や管理、そして最高の材料と機材と技術を使い現代の名人が造ったような味とでも表現しましょうか。
老叢※中国語の叢は本来は木偏が付きます。意味は単体の一株単位。日本語の漢字で株の意味が順当と考えられますが、日本の中国茶を嗜む多くの人は木偏のない「叢」を習慣的に使うので本寄文でも慣習に従うことにします。

母樹の生産量とプレミアムな価格
母樹から採れる製茶された茶葉は、年間0.8㎏~1.0㎏しかありません。しかも、これは中国政府から許可があった時だけに製茶できます。つまり、ほぼ生産されません。最後に茶摘されたのは、2005年です。
しかも、流通も決まってます。3分の1づづに。中央政府、地方政府、民間です。
1998年のデータで当時、筆者が計算した時は、100gで1220万円になりました。それ以外でニュースになって参考になる価格は民間流通分が香港のオークションに出品されて15g(当時約250万円)、上海の展示会で、20gで19万8000元(当時約287万円)との記録もあります。採摘最後の2005年の値段は20gで20万8000元(当時約380万円)です。
こんなところが世界で一番高いお茶など、伝説にさらに彩を添える結果になりました。

母樹の品種と正岩核心産区
そんな貴重な大紅袍、母樹から茶葉を採摘できません。そこで、母樹から枝をもらい挿し木(2世代)をして増やします。大切で貴重な母樹から簡単に挿し木は取れません。従って挿し木で増やした2世代から更に挿し木(3世代)で増やします。3世代から挿し木で増やしたものは、もはや大紅袍とは名乗ることはできない決まりになっています。現存すると言われいる母樹は、全て同じ品種と言うわけではありません。一般的に知られるのは、奇丹、北斗、雀舌です。伝説もしくは公式が6本なので、守り人は2本づつ選んだかもしれません。1960年に柵で保護されたのが3本なので、3つの品種が分かっていることは研究者もしくは茶業関係者にとってはありがたいことです。最近はDNA検査などで品種も改めて調査されました。奇丹、雀舌に、北斗と考えられていたものとは別の品種のようです。近隣の茶農家などは「56号」と呼称しているようです。下記にも述べますが、正岩核心にある慧苑坑には約850種もの茶の品種があると言われます。そのうち約280種ほど名前を付けられて確定している品種のようです。武夷山全体や現在では約1000種もの岩茶の品種があると言われてます。この北斗と思わていた品種は、まだ名前も確定してない品種で、中国の公的機関が調査して順番で「56号」と呼んでいるのではないかと考えています。現状解明されてる品種は、奇丹に雀舌に56号です。市場で流通してる多くの大紅袍は、母樹の中から奇丹を選んで植えられた品種から製茶している場合が多いです。

お茶とは岩茶に限らず、品種が同じでも気象条件や土壌、標高など色々な条件でその味わいは変わります。

武夷山風景区には7500もの茶園があるといわれます。
その中でも母樹にもっとも近いところを正岩核心と区別します。この正岩核心で作られてた岩茶は「正心」を冠することができます。
次に正岩風景区内で採れた岩茶には「正岩」を冠することができます。
正岩風景区もしくはその隣接茶園でも標高が低い地域を「半岩」とします。
武夷山の麓や平地で栽培されたものは「洲茶」と言われ、武夷山風景区以外で栽培された岩茶は「外山茶」になります。
昨今、中国で贋作偽物が社会問題になるように、有名である大紅袍の需要を賄うように、茶園は拡大されています。正岩核心に近いほど、岩茶特有である岩韻も強いモノになっていきます。しかし、外山茶などが偽物というわけではありません。価格が高いから本物というわけでもありません。洲茶でリーズナブルでも素晴らしい作り手によって味わい深いモノもたくさんあります。
さて、日本では殆ど正岩核心の情報はありませんが、更にその中心部に切り込むと代表的ないくつかの「坑」「澗」「岩」と言われるエリアがあります。慧苑坑、牛欄坑、倒水坑、流香澗、悟源澗、天心岩(母樹があるところ)などがあります。
※「澗」は訓読みで「たに」
これらのエリアの名前が入った岩茶は正に武夷山でもコアなエリアで栽培されたお茶になります。同じ品種でもそれぞれのコアなエリアで栽培されると違った個性が発揮されるお茶ができます。

茶叶科学研究所(中国語の簡体字で叶は葉)
武夷岩茶の難しいところは、それを製茶している企業名でもわかります。武夷岩茶が分からなく、どの製茶メーカーの岩茶を購入すればいいかわからなかったときに、茶叶科学研究所(以下、茶科所)と名前のあるパッケージを多く見ました。その当時はそれまでの経験から、茶科所以外のメーカーは偽物か若しくは品質が低いと考えてました。ところが歴史を紐解いていくと、茶科所と名乗っていても普通の企業と同じようなことが分かりました。それは、改革開放の前に武夷山で製茶をしていたのは中国共産党が指導した茶科所だけでした。その時の名残で武夷山風景区で岩茶を作っている老舗メーカーは茶科所を名乗っているところが多いということでした。

正岩核心のなかでも、幔亭峰のところにあった茶科所なので、幔亭岩茶研究所。馬頭岩のところにあったので茶科所なので、馬頭岩茶葉研究所。昔から大紅袍を管理してるので岩上茶科所。武夷岩茶を買う上で茶科所とは老舗メーカー。その他のところは他の地域の製茶メーカーや創意工夫でリーズナブル岩茶を提供するメーカーが多いです。

毛沢東国家主席とニクソン大統領
近代現代になっても大紅袍は伝説を作っています。それは毛沢東が万病に効く大紅袍をこよなく愛飲していたと言われている。毛沢東の場合は暗殺の危険から口に入れるモノをまで気を使っただけかもしれませんが、人民解放軍に守られる茶樹とはその貴重さに箔がついたことになりました。大紅袍を長年愛飲した毛沢東は、亡くなる直前まで脳の血管が若々しかったと伝えられている。伝説で老人が護茶将軍になったように、毛沢東が飲むために人民解放軍が大紅袍を護衛した名残で今でも軍が守ています。
1972年、ニクソン大統領の中国訪問がありました。この出来事は当時、世界に大きな影響がありました。この時の中国からすると超国賓であるニクソン大統領の贈物に大紅袍が選ばれました。欧米人からするとその価値を理解できずに物足りない様子でした。そこで、国家のNO.2である周恩来総理が言いました。「主席は自分の所有する大紅袍の半分を閣下に贈呈したのです。」
それを聞いたニクソン大統領は改めて敬意を表しました。この時の200gの大紅袍を贈ってます。大まかに計算するその価値は約2500万円。ニクソン大統領もまさか“たかがお茶の葉”が、そのように貴重で高価な物だとは夢にも思ってなかったでしょう。

武夷山の男
中国の格言みたいなものに、「武夷山の男と結婚してはいけない」というのがあります。これは、武夷山の男は働かないという意味です。正確には働かなくても食べるだけは武夷山の恵みである岩茶を年に一度作るだけで食べるものには困らないから。それ以外は働かないのでお嫁さんはとても苦労するという意味です。それだけ昔から武夷山の岩茶は貴重だった証です。今でも茶農家はその名残があると中国の人に言われてます。このような格言が中国では言われますが、多くの文献によると女性も茶摘みをしたとあります。お茶の季節だけ一緒に働いて、残りは働ない男たちだらけなら、女性の苦労は相当なものと想像できます。現代的な農園ではなく、昔ながらの伝統的な茶作りをする人は年に一度新茶の季節になると武夷山風景区の中で先祖代々、言い伝えられている場所に茶を摘みに行きます。それ以外は茶畑の管理もしません。肥料も与えなければ農薬も撒きません。その様な岩茶は完全な有機栽培と言っていいでしょう。このような作り方で高品質な岩茶は日本の輸入検査でも残留農薬などゼロです。そんな武夷山の男たちが日本のお茶作り事情を知ると肥料や農薬の使用に驚きます。そして、日本の茶農家は問います。どうすれば、肥料や農薬を使わないで済むか?
武夷山の男たちは答えます。「二番三番はくれてやれ」。お茶の一番美味しいところを人間が頂きます。2番目3番目のところぐらい虫や動物達にあげても、いいじゃないか。一番美味しいところをもらうとその年は、もう食べていけるのだから。
農薬を使わなくても自然淘汰が起こり蜘蛛の巣などが茶樹に張ります。それ以降その茶樹に害虫は寄り付きません。自然の中で蜘蛛が番人をしてくれます。お茶を摘むときだけ巣を避け払うだけ。肥料も使わなくても武夷山の岩に含まれるミネラルで茶樹は何百年と生きます。それらに比べ、日本の茶樹は50年が限界、それは生産効率を考えたら植え替えられる。経済原理の為に、二番茶三番茶と茶を摘む。それでは農薬も肥料も必要です。日本でも減農薬や有機栽培で頑張っている茶農家さん達は偶然にも武夷山の男たち同じような事を言うときもあり、驚いた記憶がありました。この武夷山の男たちの話を聞いたのは10年以上前に聴いた中国茶セミナーです。当時より更に激動する現在の中国では、こんな話は過去の遺物になっているかもしれません。しかし、正岩核心産区における伝統的な岩茶を飲むときは、この話を思い出し色々と考え深いものがあります。

最後に、武夷岩茶には大紅袍以外にも、有名な4大名叢があります。
水金亀、鉄羅漢、白鶏冠
それに、半天腰

小紅袍(大紅袍にちなんで名付けられたが品種は違います)
正山小種(烏龍茶ではなくこちらは紅茶、こちらはヨーロッパの王族達を虜にしてます)

水仙(花のような香りのする岩茶)
肉桂(消えるほど淡いニッケ香り)

何かの機会がありましたら、一度飲むのに挑戦してみてください。

参考文献
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(2006)『中国茶の本』平田公一監修,永岡書店.

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(2019.12.24改編)