筆者は建物や建築がお好き

筆者は、建築が好きになったエピソードを思い出した。不動産屋さんだから歴史的な建築のお話をブログにしているわけではなく、地域の魅力を伝えよう。読んでいる人に楽しんでもらうと思って記しています。けど、気付いたら建築のお話が多くて驚いたので、このページにそのきっかけ等をまとめてみます。スタッフブログを新しく書く度に、その文頭や文末に書くと読む人も大変ですから。

好きになったのは、時代劇と大河ドラマの影響です。この時から、印籠とお城に強く興味を惹かれるようになりました。
印籠の好きから家紋が気になり、そこからデザインや幾何学などにも関心を持つようになりました。
その影響か、十代後半の時には、社会学的なアプローチで、権力とはなにか?権威とはなにか?を考えてたので、権力の二重構造(権力と権威の分離)が近代化に貢献したことをスムーズに理解できたことを憶えてます。
お城好きは、なんと言っても天守閣から見る眺望です。子供の時は、いつか自分もお城に住んでみたいなと夢見たものです。しかし、現実は城主はお城(天守)に住みません。本丸、二の丸、西の丸などに住みました。驚きです。さらに、せめてあの素晴らしい眺望を江戸時代に毎日見ることができるだけでも、なんと贅沢なことだろうと思ってました。そんな事をしたら、家臣団は一大事です。当時、城主が天守に上がるのは、戦の時だけ。しかも、天守に登るという事は籠城戦になり敗戦色が濃く窮地です。なので、城主が天守の登ることは、縁起が悪いとされました。この事実を知ったとも随分驚きました。近代以前は迷信の影響が大きかったですから、迷信など気にしない織田信長ぐらいしか、天守に登って眺望を楽しんだ武将はいません。
そんな経緯から、歴史好きと建築好きになりました。武家屋敷や豪商の館、旧家などを見て回るのが好きになりました。
ちなみに国内で一番感動したのは、金沢の足軽資料館です。

金沢には庭園で有名な武家屋敷「野村家」などもありますが、足軽資料館に感銘を受けました。料金はなんと無料です。足軽なので武士の身分としては一番したの位です。江戸の長屋とさほど変わらない大きさです。しかし、この足軽の長屋は工夫がいっぱいです。当時は藩からの借家だったようです。武士なので畳が敷けたようです。さて、長屋の裏口には少し畑をできる庭のようなスペースがあります。その庭スペースの両隣もやはり、お隣の庭スペースです。足軽長屋の裏口から庭スペースを更に進むと棟の違う足軽長屋の庭スペースになってます。自分の庭スペースから隣と裏と斜め隣と対称になってます。自分から見えるがご近所からも見られる。現在ではプライバシーの問題などありそうですが、当時はそれよりも共同体として生きて方が重要だったのでしょう。そのような庭も自分の家のスペースだけでは窮屈に感じますが、ご近所の庭を借景すると広い空間を感じられます。まるでヨーロッパの集合住宅のパティオ(中庭)のようにも使えました。共同の所有であり、個人での占有の両面を持っていたようになります。
一戸では小さい庭を広く使うのは、足軽でありながらも茶道を嗜むためです。長屋の畳が敷かれた一番良い部屋は、時に茶道を学ぶ部屋でもありました。そして、この部屋は時に、子供たちの勉強部屋でもあり、家族の作業部屋でもありました。
武士としての身分が低くても生活が貧しくても、世間に出た時に武士として恥ずかしくない教養と素養を身に付けること大切にしたのだと感じ入りました。それは、加賀100万石の大藩の足軽は、足軽でも茶道の心得があるという矜持だったかも知れません。そこに当時の人々の高い誇りを垣間見れた足軽資料館がありました。